timing                       =時間を測定[記録]すること=

by eclair502

12年

阪神・淡路大震災から12年が経ちました。

当時、私は大阪(の南端の方)でボロい木造2階建ての学生下宿に
住んでいました。お正月休みも明けて、後期末の課題提出に向けて
6畳一間の狭い部屋で制作に勤しんでおりました。徹夜でもしないと
提出に間に合わないとばかりに夜中まで起きていたのですが「ちょっとだけ
仮眠しよ」と思ってベットでなくこたつでウトウトしていました。

すると、突然の揺れと、部屋の中の小物類がガタガタと落ちる音で
目が覚めましたが、揺れている途中は怖くて起き上がることも出来ません。
そのうち揺れが収まり、あたりが再び静かになってやっと部屋のドアを
開けました。廊下に出ると「今のナニ!?」と皆口々に感想を言い合いました。
少し落ち着いて自分の部屋に戻り、早速テレビを付けてみました。
朝早い時間にも関わらず、どのチャンネルを回しても同じような報道ニュース
が流れていて、激しくザッピングしながら見ていました。
その後、時間が経つにつれて地震の被害が大きく報道され、それはどんどん
ひどくなり、被害者の数字も増え続けました。震災の現場上空からの中継では
火事、倒壊など悲惨な映像ばかりでした。私の実家のある街は特に火事が
ひどく広がっていると報道され、家族や親戚のことが心配でいてもたっても
いられませんでした。当然電話は繋がらず、情報源はテレビのみ。でも一番
欲しい情報は入ってきません。テレビを見るのが怖かったけど、それでも
こたつにもぐって課題なんてそっちのけでテレビにかじりついていました。

どのくらいそうしていたか、もう覚えていませんが、その後両親と連絡が取れ、
幸い皆が無事で被害もそれほど大きいものでもなかったと聞きました。
その後長い間、実家へ帰ることが出来ませんでした。鉄道路線が被害にあった
ということもありましたが、私が家に帰ると食事、水、ガスなどの貴重な資源を
当然一人分多く消費してしまうからです。たった1日、いや半日だったとしても
それは出来ないと思い、家族の無事を確かめたかったけどぐっとガマンしました。

その後鉄道がある程度復旧し、途中代替えバスなども整ったことが確認出来て
初めて実家へ帰りました。大阪を通過し電車が西へ向かうにつれ、車内から
見える景色がどんどんひどくなりました。線路脇の家が倒壊、道路の上に
屋根がある、街が生気を失っているように見えて、このまま西へ西へ行ったら
いったいどうなってしまうんだろうと、すごく怖くなったことを覚えています。
実家は山の方の土地だったこともあってか(地盤が強かったとか。)、ほとんど
被害は無く、ライフラインもほどなく復旧し、皆元気で「生きて」いました。


私は大阪で震度4にあっただけで、実際の震災被害には遭いませんでしたが
それでもあの時の怖さ、不安、焦りなど、いまでも覚えているし、電車の中から
見た風景はよく覚えています。夜ベットで寝ていて、例えばのびーが隣で
足をバタバタした時にベットが揺れると「!! 地震!?」と目が覚めることも
たまにあります。実際にあの地震を体験した人はそれどころではないだろうと
思います。

みんな、それぞれの被害体験を持っていて、それを通じて感じたこと、考えた
ことも人それぞれだと思います。
今日はあの日からちょうど12年、ということで、私の体験を書いてみました。
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by eclair502 | 2007-01-17 21:44 | 私的